20XX年4月、500隻を超える中国漁船団が、福建省の漁港を出港した。漁船は、沖縄の地元漁船の10倍強もある、100~500トン級で、紅色の国旗を掲げ、海軍艦隊のごとく陣形を組み整然と航行、沖縄の尖閣諸島に向かった。

漁民の多くは、普段は漁業に従事しているごく普通の漁民だが、退役軍人で「海上民兵」として中央軍事委員会の指揮下にあった。「漁船」には重機関銃や自動小銃が装備されたものもあり、また軍用の無線が装備されていた。

軍として活動する場合は、国際ルール上は、非武装民間人と区別するため、階級章や軍服の着用が義務付けられているが、彼らにはそのようなルールなどは無縁だった。

この船団には、2隻の1万トン級の中国海警局の大型公船をはじめ、8隻の海警船が随伴していた。中国海警局は、日本の海上保安庁のような海難救助や海上交通の業務は管轄してはおらず、海洋秩序と海洋権益を維持し守ることであり、いわば沿岸警備隊としてのものだ。この船団が、刻々と尖閣諸島に近づいていた。

4月18日、尖閣諸島周辺を哨戒中の海上保安庁の巡視船「りゅうきゅう」のレーダーが、魚釣島北北西海域上に、約500隻の船影を捉えた。「りゅうきゅう」はただちにその海域に急行した。現場に到着した海上保安官たちの目に入ったのは、重機関銃を備えた貨物船や、自動小銃を手にした「漁民」が駆けまわる漁船で、いずれの船も、中国旗である五星紅旗を掲げていた。

「りゅうきゅう」は、独力での対応は困難と判断し、管区本部に応援を依頼したが、その間に中国漁船団は、魚釣島を取り囲むようにして漁を始めた。その内の数隻が領海内に侵入し、魚釣島への上陸準備を始めた。「りゅうきゅう」は、急を聞いて近海から駆け付けた「よなくに」とともに、侵入した漁船への警告と上陸阻止行動を始めた。

巡視船と中国漁船は、しばらく小競り合いを続けていたが、その間に、他の漁船は漁を中断し、中国海警局の公船とともに次々と領海内に侵入してきた。また海警船は、日本の巡視船に対して逆に「我が国の領海を侵犯している、ただちに領海外に退去せよ」との警告を発しながら、漁船との間に割り込み、放水や進路妨害を繰り返した。

海警船は巨大だった。中国は軍艦仕様の船体を持つ1万トン級の新造船を建造したとの情報は入っていたが、まさに目の前の海警船がそれだった。海警船は軍仕様で建造されており、商船構造の巡視船とは、対弾性、ダメージコントロールにおいて比較にならないほど堅牢だ。砲撃戦に至れば、日本の巡視船はひとたまりもない。海警船はそれを見越したように、75ミリ機関砲の照準を合わせながら、躊躇なく船体をぶつけてくる。まともに衝突したら、4千トンの「りゅうきゅう」や1千3百トンの「よなくに」ではひとたまりもない。そうこうしているうちに、漁船から小舟が下ろされ、漁民たちが次々に上陸を始めた。2隻や3隻の巡視船だけでどうにかなるものではなかった。

翌日は「しきしま」を始めとした10隻以上の巡視船が魚釣島周辺海域に展開し、海上自衛隊の哨戒機が情報収集を始めた。これまでは、日本の巡視船が周辺海域で中国船を待ち構えて、主導権を取りながら事に当たっていたが、すでにその主導権は中国にわたり、海警船が日本の巡視船に領海に入らないように警告をしながら悠々と航行していた。すでに100人を超す漁民が魚釣島に上陸しているようで、母船と思われる重機関銃を装備した輸送船からは、小舟で頻繁に物資が陸揚げされていた。

巡視船から小舟が出され、海上保安官らは幾度か「中国漁民」排除のために上陸を試みたが、多数の中国漁船や海警船に囲まれ、漁船からは投石や自動小銃の乱射などを受け、はなはだ危険な状況で、上陸することはできなかった。