中国重慶生まれの田太権は、重慶の紅衛兵墓群を撮影している。ここではその作品を引用、紹介する。

重慶には、現代の中国で、紅衛兵の唯一の墳墓が残っている。それは「取り壊さず、宣伝せず、公開しない」とされている、さまよえる紅衛兵の墓だ。重慶は、文化大革命の末期に、紅衛兵同士が互いに殺しあう「武闘」が行われた地の一つだ。その「武闘」は、「造反有理」「革命無罪」の名のもと、人間性を失った殺し合いで、「人肉宴会」が行われるなど、まさに鬼畜の所業と言えるものだった。

この田太権の作品は、紅衛兵のその所業ゆえに、永遠にさまよう様子を表現しているような気がする。

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神格化された独裁者、毛沢東の権力への妄執により、文化大革命では、最大で2千万人の命が失われた。多くの少年や少女たちは、絶対者を妄信し、毛沢東は「造反有理」と「革命無罪」の言葉により、幼い紅衛兵たちの、内なる暴力性を引き出し利用した。彼らは毛沢東の言葉を誇らしげに唱和し、父祖たちから受け継いできた歴史を破壊し、純粋な心で社会的な知恵を軽蔑し破壊し、人々に暴力をふるい、殺した。「革命」の名のもとの暴力性は歯止めを知らず、悪魔性を帯び、ついには彼ら自身の人間性も殺してしまった。その行き着く先は、互いの殺し合いでしかなかった。

彼らはもはや人間ではなかった。殺し殺され、犯し犯され、切り裂き切り裂かれ、喰らい喰らわれ、腐臭の中で押しつぶされた。彼らの多くは、数千万人の怨霊がさまよう、歴史の闇の中に打ち捨てられ、現実の世界にあったはずの、生きた痕跡は消し去られた。しかし彼らを鬼畜の所業に駆り立てた絶対的な虐殺者は、今も建国の英雄として崇められている。

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あの時代でなければ、恐らくは有為な人生を送れたはずの多くの少年少女たちの霊は、その鬼畜の所業のために未ださまよっているのだろう。

文化大革命で、残虐に殺された人々とともに、紅衛兵の死を悼み、この動画を掲載する。