テレ朝の羽鳥慎一モーニングショーで、玉川徹氏が、日韓関係について話したんだって。こう言うだけで、ここの読者の皆さんは「察し」となるんでしょうが、一般の方々には、左翼系のこの手のもっともらしい言説に惑わされる方々もいると思うので、何度か言ってることなんだけど、「政治と民間は別」について、改めて挙げますね。引用は、スポニチアネックス(2019/11/08)ね。

玉川徹氏 日韓関係の悪化に「こういう時こそノンガバメントの動きっていうのが重要」
引用:スポニチアネックス、テレ朝(2019/11/08)

テレビ朝日の玉川徹氏が8日、同局「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜前8・00)に生出演。悪化している日韓関係について言及した。

玉川氏は「政府同士は泥沼にハマっちゃって動かないわけですよ。こういう時こそノンガバメントの動きっていうのが重要だと思う」と指摘。その上で「とにかく国と国、全体として対立している限りにおいては得はないです、どっちにとっても。政府同士にはメンツだとか、いろいろ米国をめぐる関係だとか、支持者との問題とかあると思うんですけど、それはやっぱり政府以外のところの知恵の出しどころかなって思います」と言い、元徴用工らの問題は「有志の議員発で何らかの仕組みをつくって、そこに善意が集まる形であればいいんじゃないですか。日本の中でもそんなもの出すべきじゃないって人いっぱいいますよ。でもその人は出さなきゃいいんで。でも私は出してもいいって人もいるだろうし。それが知恵だと思う」と持論を展開した。

日韓関係で、よく左翼系の方々は、「政治と民間は別」との言い方をされる方々がおり、一定の賛同を得ているようなところがあるよね。ここでは、以前から、日韓関係については、その論は当てはまらないことを述べているのね。ここでは、テレ朝の玉川徹氏の言に焦点を当てて、考えてみるね。

この番組中で、長嶋一茂氏と玉川氏は、政治と民間という言葉を簡単に言ってるんだけど、「政治」を「政府」という言葉に言い換えてもいるようで、これは、日韓政府が様々な問題で対立しており、それはわかりやすいけどね。では「民間」とは、何を意味してるんだろうか。

長嶋氏は、非常に単純に、「民間」について、「自分の周りにも韓国人の友人がいる」という私的な関係での「個人」を挙げていたんだけどね、これはまあ妥当だと思うよ。でもね、その韓国の友人が、政治的な持論を持っていないわけはないのよ。例えばその友人に「竹島は日本固有の領土だ」と言った場合、大きな反発が返ってくる可能性が高いと思うよ。

要するに長嶋氏の考えている「民間」とは、政治的な話題には触れないようにしていることで保たれている「安定」なんだよな。もちろん、個々の生活の中で、わざわざ「政治」に触れる必要もないから、それでいいんだけどね。でもね、そういう「民間」が複数になれば、それは簡単に「政治」になると思うよ。例えば、長嶋氏の親しい在日の方がいたとして、その方が民団からの署名に応じたとすれば、もう「政治」だよね。また、新大久保あたりで、嫌韓デモに遭遇して、ヘイトだーとか思ったらそれは「政治」だよな。

玉川氏は「政府同士は泥沼にハマっちゃって動かないわけですよ。こういう時こそノンガバメントの動きっていうのが重要だと思う」と言ってるんだけど、ここで言う「ノンガバメント」というのが「民間」ということになるんだろうけどね。例えばスポーツイベントや芸術文化を看板にしたイベントなんだろうね。でもね、個人的な付き合いの中で、意図的に政治的な話題にはふれないような付き合いとは違って、イベントのような集団となった場合は、これまでもそこには「政治」が付いて回っているよな。

スポーツイベントの場合には、旭日旗問題や、芸術文化では慰安婦や徴用工問題やらが付き物だよな。玉川氏のいう「ノンガバメント」に対して、「政治的に敏感な部分には触れるな」というのも無理がある話だよ。まして、「ノンガバメント」を民間と考える場合、慰安婦関連団体や、徴用工関連団体や全労総、全教、民団など、政府以上に政治性の強い団体が主催するイベントなどはどうするのかな。要するに玉川氏のいう「ノンガバメント」は、むしろ、政府よりも政治的と言えるかもしれないよ。あるいは「ノンガバメント」なる言葉は、玉川氏自身も定義づけされていない曖昧なものなのかもしれないね。だとすれば、玉川氏は言論人としては失格だよ。

韓国の場合は、その国の成り立ちから、「戦勝国」であり「日本から独立を勝ち取った」とするウソから始まっており、右派左派に関わらず、その反日史観は、かつての統治者だった日本に対して民族的優位性を持つことができる政治的ツールとなったわけよね。

それを韓国の政権は、ウソの反日教育を継続しながら、政権浮揚のために反日を煽り利用し、ノムヒョン政権時には親日罪を立法し、「親日」は絶対的な悪として定着させてしまったのよね。また、日本統治時代を肯定的に見る方々もほぼ死に絶え、反日教育は完成し、民族の中に反日は組み込まれてしまったのよ。

今や、「政治」が、その都合で煽ってきた反日は、民族的高揚感を生み、逆に「民間」が「政治」に対して反日を煽り、メディアがそれに乗りマッチポンプで反日世論を形成していく。「政治」はその世論を無視できず、さらなる反日政策をとっていく、つまり反日ポピュリズム政治となってしまったのよね。

慰安婦問題も徴用工問題も、「政治」は、日韓共に、対立する点には未来志向的に封印し、決着させようとしてきたわけよ。日本は、河野談話や村山政権の女性基金がそうであり、安倍政権での慰安婦合意もそうだったと思うのね。しかしそれをぶち壊してきたのは、挺対協などの「民間」と「世論」という民間の圧力だったわけよね。

韓国の場合は、反日については「政治」と「ノンガバメント」の関係は、煽り煽られ、「親日罪」制定以降は、むしろ民間世論が政治を煽り、反日政策を進めている感があるよな。まして現在のムン政権は、間接民主主義より「ノンガバメント」のロウソク民主主義を優位に立たせ、自ずからの責任を放棄しているに等しい状況だよ。そのような状態で、玉川氏のような、「日韓の民間交流を活発にするべき」のような議論は全く筋違いだと思うけどね。

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まったくその通りだよね。慰安婦問題も徴用工問題も、スポーツイベントも、各地での文化交流を名目にした慰安婦映画の上映などなど、すべて「ノンガバメント」でのことだよ。ムン政権も「世論が納得しない」を外交上で頻繁に口にしているよな。つまり韓国の場合は今や「ノンガバメント」こそが「政治」になっているんだよ。
日本が考えるべきことは、玉川氏のような「政治」を棚上げにして、政治そのものの「ノンガバメント」と交流するということではなく、ウソを原点にした「反日」を棚上げにしての「配慮」ではなく、歴史の真実を武器にして、ウソの反日と徹底的に戦うことなんだと思うけどね。それなくしては日韓間に真の友好は生まれないと思うけどね。