⑪捕虜慰安婦の米軍聞取り調書

韓国が証拠も、関連する証言も無いハルモニ個々の証言は、それがいくら集まっても、法の下では証拠能力はまるでない。実際に韓国慰安婦たちが、どのような状況であったのかを、アメリカ軍が1944年8月、ビルマでの日本軍掃討作戦で捕虜にした、朝鮮人慰安婦20名と、慰安所経営者2名に対する聞き取り調査をあげる。

「慰安婦」とは、軍人の利益の為日本陸軍に付属する売春婦にすぎない。1942年5月、東南アジアの占領地で「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を募集する目的により、日本人代理業者が韓国にいった。この仕事の内容は、病院の負傷患者の世話や、軍人を明るくする事に関連する物と伝えられた。

この代理業者は、大金が得られ、家族の借金の返済もでき、簡単な仕事で新天地シンガポールで新しい人生を送れるなどと説明した。この虚偽の説明に基づいて、多くの女性が海外勤務に志願し、大金の前金を受けた。

これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。彼女らはサインした契約書により、家族の借金返済の為受けとった前金の金額により、6ヶ月から1年間、軍規と「舎監」に束縛された。およそ、800名の女性がこのようにして集められ、彼女らは1942年8月、ラングーンに降り立った。ここから彼女らはビルマの各地、大抵は近くに日本陸軍基地がある比較的大きな町へ分散した。

韓国人慰安婦は平均約25歳、無教養で大人気なく利己的だった。彼女たちは、白人の基準からも、日本人の基準からもうつくしくはなかった。彼女らは自己中心的な傾向があり、自分の事を話すのが好きだった。知らない人の前での態度は静かで、控えめだが、男を手玉に取る方法を知っていた。彼女らは、自分の仕事が好きでない事を申し立て、家族の事に付いては話したがらなかった。米国軍人から捕虜として受けた扱いに対して、日本軍人よりも感情的だと感じており、中国とインドの部隊を恐れていた。

彼女らは、大抵大きな2階建ての建物を宿舎として与えられ、各女性に個別の部屋が割り当てられ、各々の女性はそこで生活し、睡眠をとり、業務に勤めた。食事は、日本陸軍からの配給が無い為、舎監によって準備されそれを購入していた。

彼女らは贅沢に暮らした、それは彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからだ。彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買い、慰問袋を受け取った多くの兵隊から多くのプレゼントを貰っていた。ビルマにとどまっている間は、将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。

将校は週7日くる事が許されていた。彼女らはこの日程でも過密極まりなく、その為、全ての客に構っていられないと文句を言い、それにより多くの兵隊が気分を害した。彼女らは客を拒否する特権を与えられており、兵隊が酷く酔っていた時等、頻繁に行使された。

「舎監」は彼女達が契約した時に被った債務金額次第で、彼女らの総収入の50から60%を受け取った。月平均で彼女らは1500円の総収益をあげ、750円をマスターに返済する。多くのマスターは、食事や品物に高値を付け、彼女らの生活を困難なものにした。1943年後半、陸軍は債務を返済した女性へ帰省を命令し、何人かの女性は韓国へと帰国した。

彼女らはあらゆる種類の避妊用具を十分に支給され、しばしば、兵士自身も陸軍から支給された物を持って来る事があった。彼女らは衛生の問題において客と自分の世話が出来る様に良く教育されていた。日本軍医が週に1回訪れ、病気が見付かった女性は、みな治療を受け隔離され、最終的には病院へ送られた。

普通の日本軍人は、満員で列に並んで自分の順番を待つのを恥ずかしがっていた。また彼女らに結婚の申し込みをするものも多く、実際に結婚したものもいる。彼女らの所へ来る将兵のうち、翌日前線へ向かう兵士と、酔った者が最悪であるとした。しかし酷く酔った兵士でも、機密や軍事問題を話題にすることはなかった。女性の方から軍事問題の会話を始めても、将校や下士官兵は話さず、むしろ「そのような女性らしくない話題」について話す事を説教された。

兵士は、実家からの雑誌や、手紙や、新聞を受け取ることを楽しみにしていた。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、小さな人形、口紅や服であふれた慰問袋を受け取った事を話した。口紅と服は女性の物であり、彼女達は何故実家の人達がそのような物を送るのか不思議だった。送り主は、自分たちや現地の女のために送ったのだろうと考えた。

⑫朝日新聞吉田証言を撤回

韓国のアジア女性基金の拒否で、慰安婦問題は暗礁に乗り上げていたが、サッカーワールドカップが日韓共催となり、日本の韓国への関心は高まった。韓国ドラマの日本でのヒットもあり、日本では韓流ブームが起こった。しかしその裏側は、日本のコンテンツ不足の中で、メディアが安い韓国コンテンツを求めてのものだった。また、インターネットの普及率もまだ低く、慰安婦問題などの情報が韓流ブームの中で伏せられていたこともあった。

しかし、インターネットの普及につれて、メディアも情報の囲い込みが出来なくなり、竹島問題や、慰安婦像の情報、韓国の反日教育などの情報がインターネット上に広がり始め、嫌韓感情は次第に大きくなっていった。そして、2012年8月、韓国の李明博大統領が突然竹島への上陸を強行し、また天皇謝罪要求などを契機として、日本国内に嫌韓感情が急激に広まった。

近年の歴代韓国大統領は、就任当初、対日方針が協調的であろうと反友好的であろうと、大統領任期が末期に近づくにつれて、その出身政党にかかわりなく、決まって反日強硬姿勢へと変わっている。当初は親日的とされた李明博大統領もその例に漏れなかった。

また、李明博は、北朝鮮との統一時には、「必要となる約4兆円の財源を国際機構と日本に出させる」旨の発言をし、また、日本と北朝鮮が国交正常化した場合は、賠償資金として約1.1兆円を日本に支払わせ、韓国による北朝鮮支援基金に充当する計画を明らかにしている。朴槿惠大統領になってからも、時折韓国からは、「日本には4兆円の貸しがある」との意味不明な話が入ってくるが、これはこの李明博の話からのものだろう。

2011年、韓国の日本大使館前に慰安婦像が設置され、韓国政府が政治問題として慰安婦問題を大きく扱うようになってきた。これにより、朝日新聞の過去の報道が国内で注目され批判されるようになった。また、安倍政権が誕生した場合には、河野談話の見直しや朝日新聞幹部の証人喚問がありうるとの話も聞かれるようになり、この場合、朝日新聞の過去の報道姿勢も問われることになるとの危機感が高まり、慰安婦問題についての本格的な検証を行わざるを得ないとの考えが朝日社内において強まってきた。

また、他の報道機関も朝日新聞の慰安婦問題に対する報道姿勢などに批判を集中し、読者の中にもこれについて不信感をいだく者が増加して、読者からも慰安婦報道に対しネガティブな意見が多く寄せられるようになった。これが販売部数や広告にも影響を見せ始め、販売や広報の立場からも放置できないという意見が高まった。このような状況のもと、2014年8月、朝日新聞は検証記事を掲載し、吉田清治関連の記事は撤回し、その後、圧倒的な世論の批判を受けて、謝罪に追い込まれた。

⑬告げ口反日、歴史戦に備えて

朴槿惠政権では、その公約の一つに「第二の漢江の奇跡」があった。「漢江の奇跡」は、朴槿惠の父親の朴正煕が、日本からの有償無償合わせ、当時の韓国の国家予算に匹敵する、約8兆円の資金援助を財源としたものだ。戦後補償に変わる資金援助で、韓国内のインフラを整備し、奇跡の経済発展を遂げた。朴槿惠の公約の財源を明示していない「第二の漢江の奇跡」は、その財源を日本からの戦後補償の「おかわり」に求めていたのかもしれない。

朴槿惠が、その就任直後から「過去の清算」「慰安婦問題」を持ち出した理由は、韓国初の女性大統領ということもあるのだろうが、この「第二の漢江の奇跡」を実現させるために、慰安婦と徴用工の問題を大きくし、それにより日本への「4兆円の貸し」を引き出そうとしたものだろう。

しかし、国際条約を無視し、法を無視し、反日感情で騒ぎ立てれば日本は譲歩するとの外交手段は、すでに日本には通用しなかった。日本は法治国家であり、社会党の村山富市総理であっても、日韓基本条約の「完全かつ最終的な解決」を破ることはできなかった。村山政権が道義的な責任から設置した「アジア女性基金」が、日本ができる最大の譲歩であり、それを拒否した韓国政府は、自ずから慰安婦問題の解決を放棄したに等しい。

朝日新聞が、吉田調書に関する記事を取り下げ謝罪してからは、「広義の強制性」などと言っても、すでに誰も聞く耳は持たないだろう。そのような状況で、韓国民が反日を行えば行うほど、「慰安婦」を騒げば騒ぐほど、日本の嫌韓感情は高まり、「助けない、教えない、関わらない」の非韓三原則が強まるだけで、民主党政権のような、親中、親韓勢力が政権をとることはもうないだろう。

この日本軍の慰安婦問題が行き詰まる中、韓国では新たに米軍慰安婦問題が浮上してきた。どの国でも、売春は個々の問題であるはずで、韓国が、これまで慰安婦の証言を最大の証拠として、日本に対して謝罪と賠償を要求してきたことは、米軍慰安婦が存在していた韓国では、それがそのまま韓国政府に跳ね返るブーメランだった。この米軍慰安婦問題は、韓国民自身の多くが肌で知っている問題で、「証拠」や「証言」も数多くある。

2014年12月、米軍基地村「慰安婦」女性122人が韓国政府に対して、謝罪と賠償を求める裁判を起こした。韓国政府は、答弁書で、国家賠償が成立するには、元慰安婦122人の一人一人が、警察の黙認、ほう助、地域の保健所職員の強制検査と監禁などについて、違法行為を証明できていないと述べた。これは驚くべきことで、日本軍の慰安婦問題では、矛盾に満ちたハルモニたちの証言を金科玉条のように振りかざし、個々の「強制性、強制連行」を証明することもしないで、日本政府の「犯罪」として、日本に謝罪と賠償を求めてきたのは誰だったのか。

2014年11月には、旧日本軍に強制動員されたとする軍人、軍属の遺族らが、韓国政府を相手に1965年の日韓請求権協定時に、日本から受け取った資金を返還するよう求める訴訟を起こした。遺族らは、「日本は軍人軍属への補償金として、3億ドルを無償で韓国政府に渡した。韓国はそれを基に経済を発展させたのだから、被害補償は韓国政府が責任を持つべきだ」と主張。1人約1050万円の返還を求めている。

このような状況下で、朴槿恵政権は、慰安婦問題で拳を振り上げたものの、確たる証拠もないまま、逆に徴用工問題や米軍慰安婦問題でブーメランのように跳ね返りはじめたことに困惑したのだろう。韓国政府は慰安婦問題の落としどころを求め、その結果が2015年12月の慰安婦問題日韓合意となったのだろう。それは、北朝鮮と中国をにらんでのアメリカの意向もあり、また、北朝鮮への脅威に対して安全保障上考慮しなければならない、日韓双方の妥協の産物だった。

しかし、韓国内には親北、親中勢力が多く、これらの勢力にとっては受け入れがたいものだった。そのような中で起きたのがチェスンシルゲートだった。親北、親中勢力はこれに乗じ、一貫して反日的な言動を行っていた朴槿恵大統領を「親日」として、反日勢力を煽り、慰安婦合意破棄を叫び、ムン政権が誕生した。

2015年12月の日韓外相会談で結ばれた、「最終かつ不可逆的な解決」を示した合意は世界に発信された。そのような合意を、政権が変わったからと言って一方的に破棄できるものではない。ムン政権はその取扱いに窮したあげく、「外交では解決しない」としながら、「日韓以外の全世界の問題」と言い出した。

これは、日本に対して合意破棄や再交渉を求めることはできないので、その合意は棚上げにして、他国に対して「反日告げ口外交」を行うということだろう。にも拘わらず、歴史問題と経済問題は別とし「ツートラック外交」とかで、通貨スワップなどで「用日」を行おうとしている。

これまでの経緯から、筆者は慰安婦合意に対しては懐疑的で、このような結果になることは予言しており、まったくその通りになった。慰安婦問題をはじめとした歴史問題は、客観的な資料や証言から真実をつきつめ、「正しい歴史認識」を共有することで解決するしかない。韓国が「反日告げ口外交」を宣言した現在、私たち日本人は、慰安婦問題の真実を共有し、「歴史戦」に備えなければならないだろう。