⑧ドツボにはまった韓国慰安婦外交

村山富市総理は、1995年、戦後50年の節目にたって、閣議決定に基づき談話を発表した。それは、植民地支配と侵略によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことに対する謝罪だったが、河野談話を受けて韓国内で広がっている謝罪に対する補償については、「法的にはもう解決が済んでいる」との認識を示し、個人補償を国として行う考えはないとした。

しかし、「慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたい」という認識のもとに、政府の基金と民間の募金で「女性のためのアジア平和国民基金」を設置し、元慰安婦の方々への一人200万円の償い金の支給と、医療福祉支援事業を行うことにした。

しかし韓国では、河野談話は、韓国政府が「強制性を認めれば政治決着する」と要求したのに対して出したぎりぎりの妥協だったが、これにより「日本は軍の強制連行を認めた」という話になり、「日韓基本条約のときには知られていなかった条約以外の新事実が出たのだから新たな国家賠償が必要」との要求がされ始めていた。

「日本に物質的な補償は求めない」としていた韓国の金泳三大統領は、当初はこのアジア女性基金を評価したが、経済状況などの悪化のためか、「日本のポルジャンモリ(日本語でバカたれ)の悪い癖を直してやる!」などと反日的な姿勢を強くしており、挺対協などの支援団体が「国家賠償」ではないことに強硬に反対したことからその態度を変えた。韓国政府はアジア女性基金の償い金の受け取りは認めない方針を示し、また医療施設建設などの事業も拒否した。

アジア女性基金を受け取ろうとする元慰安婦に対して、挺対協などの支援団体は、基金からの償い金を受け取るべきでないと圧力を加えた。そして「基金を受け取らないと誓約すれば200から300万円を支給する」ことを表明したため、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。

挺対協代表の尹貞玉は、「償い金を受け取るということは、日本政府が犯した罪を認めず、ハルモニたちを初めから売春婦扱いすることだ」とし、運動関係者らが償い金を受け取った慰安婦に対して「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」と脅迫したり、「日本からの汚れたカネを受け取れば、本当の娼婦になる。お前らは娼婦だ、」のような中傷が行われ、あらゆる活動、行事から疎外した。

日本では韓国と反対に、かつて朝日新聞が取り上げた吉田清治の「慰安婦狩り」は虚偽であることはすでに確定しており、日本軍による強制連行はなかったとする見方が広がっていた。しかしそれでも、「悪逆非道な日本軍」の脳内妄想から抜け出られない左翼は、韓国の垂れ流す反日的な「強制連行」に固執していた。特に、土井たか子時代のマドンナブームに影響を受けた、社民党や民主党のフェミニストたちは、反日的な挺対協に同調し、韓国内で行われている水曜デモに参加するなどしていた。

⑨「性奴隷」を国連に売り込む

1997年、慰安婦報道への批判の高まりを受けて、朝日新聞は密かに慰安婦問題の検証を行った。当然吉田証言の扱いも課題となった。このとき、裏付けもとらず「従軍慰安婦狩り」の記事を書き、慰安婦問題のきっかけを作った清田治史も出席していた。

清田は、外報部次長、ソウル支局長、外報部長と順調に出世の階段を上り、このときは外報部長だった。内部には「吉田証言の記事を取り消すべき」との意見もあったが、清田らは「そこまで踏み切るのは難しい」とし、結局、虚偽だとわかっていながら「吉田氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」と記述するにとどまった。

それでもなお、「軍による強制連行」は言えなくなった中で、「政府や軍の深い関与、明白」という見出しで、「強制連行」を広義の「強制性」にすり替えた。これは虚偽だった自ずからの記事の問題点を隠蔽するとともに、論点をすり替え、いわばアリバイ作りで、朝日新聞の社是ともいえる「悪逆非道の日本軍」のスタンスをかろうじて守ったともいえる。

1990年代のこれらの動きと並行して、日弁連の戸塚悦朗弁護士は、国連のNGOに所属する立場を利用し、慰安婦問題について国連人権委員会が勧告を出すよう執拗に働きかけた。戸塚は自ずから「私が性奴隷と命名した」と言っているように、意図して扇情的な「性奴隷」の言葉を使い、慰安婦をセックススレーブと英訳して世界に紹介した。ここで戸塚が全面的に依拠したのが、朝日新聞の報道した吉田証言であった。

これにより、1996年にクマラスワミ報告書が出され、性奴隷の根拠はその多くを吉田清治の証言に求めている。この報告書の中で、吉田の詐話の「私の戦争犯罪」が何度も引用されている。それ以外に一次資料はなく、あとは戸塚らが集めてきた裏付けのない元慰安婦の「証言」だけである。それをもとに、この報告書は「日本政府が性奴隷についての法的責任を受け入れ、個人補償を行うこと」を勧告している。

この報告書について、日本の外務省は、当初40ページの反論書を提出した。しかしなぜかそれを撤回し、半ページぐらいの形式的な反論しかしなかった。当時は村山政権であり、外相は河野洋平だったことから、アジア女性基金の創設で、穏便に乗り切ろうとする意図からと推測できる。また朝日新聞が1997年の検証で、吉田証言の記事を取り消さず、清田らが「そこまで踏み切るのは難しい」としたのは、このクマラスワミ報告書に、戸塚悦朗の「性奴隷」が盛り込まれ、「個人補償を行うこと」を勧告したことで、この時期に吉田証言を取り消せば、クマラスワミ報告書が無力化するという思いがあったのだろう。

このクマラスワミ報告により、挺対協やそれを支援する日本のフェミニスト達は勢いづいた。しかし、当初は「日本に物質的な補償は求めない」とし「アジア女性基金」を評価し、その設置の直前になって「受け入れ拒否」とした「ゴールポスト」が動く韓国との間で、穏便に決着を図る道は実質的に閉ざされた。

⑩証拠はハルモニの証言だけ

韓国は1998年に金大中政権となり、次に、盧武鉉政権となった。これらの政権では、民主化運動を担った勢力が政権中枢に入り、市民団体の発言力がさらに強まった。金大中政権では、大統領夫人のイヒホは女性運動出身で、「慰安婦問題などは、韓国の市民運動が求めている方向で解決してほしい」と明言し、女性省が創設され、女性運動出身者が女性相に任命された。それに伴い、慰安婦問題に長年取り組んできた挺対協は、極めて大きな影響力を持つようになった。

挺対協は、膠着状態を打開するために、協力関係にある北朝鮮工作機関傘下の「ちょうたいい、」朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会と共闘を強め、また欧米諸国に働きかけ、各地に慰安婦像を建てるなどのパフォーマンスで、日本を国際的に貶め、日本の譲歩を引き出そうとした。しかしそれは日本の嫌韓感情を高めることにしかなっていない。

韓国政府と挺対協が主張する「性奴隷」としての証拠とするものは、ハルモニたちの証言である。彼女たちが「売春婦」であったことを類推させる、慰安婦募集の業者のチラシや、預金通帳、慰安所管理者の日記などは発見されているが、ハルモニらの証言を支える周辺証言は無い。また彼女たちの証言の多くは、親に売られたり、騙されたりとするものが多いが、時期によって証言が変わり、特に「強制連行」されたと変わっている例が多く、挺対協などからの誘導が疑われる。

また、日本統治時代の韓国人にも、強制連行の光景は見たことも聞いたこともないという証言は多数得られており、さらに当時の日本軍ではありえない、ジープやヘリコプター、クリスマス休暇、などが証言内にあり、朝鮮戦争当時のものではないかと疑われるものもある。

挺対協と共同で調査に当たったソウル大学名誉教授は、金学順とムンオクジュを強制によると認定したが、韓国の新聞のインタビューで「問題は強制動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」と発言した。また途中で活動をやめた理由について、「挺対協の目的が慰安婦の本質を把握して、今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」とコメントしている。

朝日新聞が、吉田清治の証言に関する記事を誤りと認めた後の2014年9月、韓国外交部の定例会見で、一部の日本メディアが慰安婦の強制動員の証拠提示を要求し、外交部報道官が韓国政府の立場を強く主張した。この会見で、読売新聞記者が、「朝日新聞が済州島で女性を慰安婦として強制連行したという吉田清治氏の証言を虚偽と認め、記事を取り消した。慰安婦が強制連行されたという説を裏付ける主要な根拠がなくなったが、それでも韓国政府は日本軍が組織的に強制連行したと主張するのか」と質問した。これに対して報道官は、「慰安婦動員の強制性を立証する証拠は数え切れないほど多くある」とし、「最も確かな証拠は、被害者のお婆さんたちの証言だ」と返答した。日本のマスコミから再度、証拠を求める質問が出ると、「最近、中国で戦犯の供述書を公開した。その内容にも詳細に記録されている」と強調し、結局韓国の日本への謝罪と賠償を要求する根拠は、裏付けのないハルモニたちの証言だということを認めたことになる。