①、南北統一の混乱、暴動、経済崩壊、そしてクーデター

2018年6月の米朝首脳会談の後、韓国は左翼政権を永続的に続けられる、強権的な体制を整えた。韓国大統領は、北朝鮮との見せかけの平和攻勢の中で、朝鮮戦争の終戦宣言を行い、アメリカは自国へ到達する核ミサイルの廃棄を条件として、それを受け入れ、在韓米軍の撤退を決定した。

アメリカは、この時期、中国の台湾、南シナ海、東シナ海での中国の覇権拡大を阻止するべく動いており、台湾を西太平洋の橋頭保と考えており、米韓同盟には関心を示さなくなっていた。またそれは日本やイギリス、フランスなども同様で、韓国は国際的に孤立していた。

韓国は、終戦宣言を受けて、ケソン工業団地を再開し、また金剛山観光も再開した。さらに、冬季五輪後に疲弊の極にあった、平昌地区に、現代グループやサムスングループに資本を出させて、大規模な観光開発を始め、その労働者や施設の従業員として大量の北朝鮮国民を移住させた。

韓国大統領は、南北統一を目指してはいたものの、当然、経済的に主導権を握っての韓国主導の統一を考えており。北朝鮮は、軍事的に優位に立っての北朝鮮主導の統一を考えていた。同じ共産主義政権を志向はしていたが、それは同床異夢というべきものだった。

韓国大統領は、「積弊清算」をスローガンとして、権力の座から右派を慎重に排除し、また、米軍勢力を縮小しながら、歴史問題で世論を反日に誘導し、右派と日本を分断していた。しかし韓国内には、いまだ多くの右派勢力が存在しており、無視できるようなものではなかった。

20××年6月、平昌地区の北の労働者が待遇改善の暴動を起こし、これに対して韓国の武装警察部隊が出動し鎮圧にあたった。暴動はケソンにも拡大し、数名の犠牲者が出た。北はこれに激しく抗議し、北朝鮮の陸上部隊が、38度線近くに集まりつつあることが、韓国に対しアメリカから報告された。

韓国は、これらの北朝鮮の動きに対して、待遇改善を約束し、韓国民並みの給与体系をとることを約束した。しかしこれは、資金を投入する財閥にとっては大きな負担となり、韓国経済は大きく混乱し、韓国内の世論は政権への非難で沸騰した。また、ケソンと平昌では韓国民と北からの移民が鋭く対立し始めた。

北は自国民の保護と称し、ケソンと平昌に戦車部隊を投入し占拠した。世情騒然とした中で、韓国軍がクーデターを起こし、大統領は拘束された。これは、北朝鮮の侵攻に備えるための一時的なものと発表され、韓国軍すべてがこれに従い、ソウルには戒厳令が敷かれ、韓国全土は戦時体制に入った。

②、無意味な板門店宣言、ソウル火の海、両軍38度線を越える

かつての第一次朝鮮戦争のときとは異なり、韓国は戒厳令下にあり、韓国軍政府は、ソウル南部の水原に置かれ、ソウルから多くの市民が避難を始めていた。20××年9月、北朝鮮はソウルに向けて、一斉にロケット砲の砲撃を開始した。ソウルには住民の半数ほどは残っており、火に包まれ破壊されていくソウルで、多くの市民が犠牲になった。

これに対し韓国軍は、ただちに、K1A1戦車を中心とした部隊を、国境の臨津江に架かる統一大橋に進出させ、この橋をめぐり、北朝鮮の戦車部隊と激しい戦いになった。北朝鮮軍の戦車は、冷戦時代のソ連製のT-62を主力としており、旧式といえるものだった。韓国の戦車はK1A1を主力としていたが、故障が多く、信頼性に乏しかった。それでも両軍は統一大橋をめぐり一進一退の戦闘を繰り広げ、この戦いは、航空戦力の差により韓国軍が制し、韓国軍は国境を超えてケソンへと進撃した。

この間、北朝鮮軍の別動隊は、平昌を拠点とし、韓国北部のいくつかの小都市を抑え、ソウルを目指す動きを見せていた。