⑤、消耗戦の果てに戦線膠着、北は原発ゲリラ攻撃

12月に入り、春川の北朝鮮軍は撤退し始めた。平壌の南部を韓国軍に抑えられ、武器弾薬、燃料等の補給は極端に少なくなり、戦線を維持することが困難になっていた。韓国軍が占領している平壌南部を避け、北朝鮮東部の元山に向けて撤退し始めた。しかし韓国北部の町々は、すでに略奪破壊しつくしており、一日一回の韓国空軍の空爆を受けながら、空腹と寒さの中で元山にたどり着いたのは三分の一に満たなかった。

程度の差こそあれ、韓国軍も状況は深刻だった。平壌を伺える位置まで進出しながら、アメリカや中国、日本による、徹底した海上封鎖により、すでに武器弾薬、燃料は底をつきかけていた。韓国には、あと一歩で「北進統一」が完成するという思いがあるのだろう、日本に対しては、竹島はもちろん、済州島の割譲までを申し出、燃料と武器弾薬の支援を要請してきていた。もちろん日本がそれを受けることは無かったが、北朝鮮による拉致被害者救出への協力と引き換えに、人道的食糧支援を約束した。

韓国空軍が時折空爆を行い、北朝鮮がときおりロケット砲や長距離砲で砲撃を行うことはあったが、戦局を変える程のものではなく、戦線はそのまま膠着状態になった。この間、北朝鮮からの多数の避難民が海上で救出されたが、日本はこれを「難民」ではなく「戦争避難民」として、一時的に九州の収容所で保護はするが、終戦後は半島への強制退去をすることを決めていた。

2月、北朝鮮、バヨウトウに集結していた潜水艦が、多数出撃したことが判明した。直ちに日本海に展開していたアメリカ空母艦隊と、日本の海上自衛隊のヘリ空母艦隊が動いた。北朝鮮の潜水艦は、第二次世界大戦後半の旧式のものであり、現代の潜水艦と比較すれば、「可潜艦」とでもいうべきもので、最大潜航可能時間は約半日程度しかなく、その多くは、アメリカ海軍と日本の海上自衛隊によって捕捉され、その多くは撃沈された。

しかしその内の数隻が蔚珍原発周辺に漂着し、北朝鮮兵が原子力発電所を占拠破壊し、折からの季節風で、北西方向の韓国内陸に放射能汚染が広がった。

さらに同時期、平壌北部から数発のミサイルが発射された。すぐさま弾道が解析され、ソウル南部の霊光原子力発電所が標的とわかったが、核攻撃であることも予想され、東シナ海に展開していた中国海軍が直ちに迎撃ミサイルを発射した。しかしうち漏らした2発が原子力発電所周辺に落下したが、目標を外れたため大事にはいたらなかった。

⑥、北核ミサイル発射の構え、アメリカの先制攻撃

一連の北朝鮮のミサイル攻撃に対して、アメリカは直ちに反応した。原子力発電所を狙った北朝鮮の攻撃は、核ミサイルによる攻撃もじさない北朝鮮の意思とアメリカは判断した。また現に、アメリカの偵察衛星は、北朝鮮のミサイル車両と思われる車両の動きが激しくなっていることを掴んでいた。ここにいたり、アメリカは北朝鮮の核攻撃に対して先制攻撃を行うことを決定した。

アメリカの艦隊と、潜水艦群からは、次々と巡航ミサイルが発射され、発射基地を潰して行った。また空母と沖縄基地から、ステルス性の高いF-22を先陣に、FA18戦闘爆撃機などが飛び立ち、移動発射台を次々と潰していった。

そのような中、北朝鮮各地から、10発を超えるミサイルが発射された。アメリカ軍の先制攻撃から逃れたものらしく、それは短距離ミサイルだったり長距離ミサイルだったり、脈絡もなく散発的であり、指揮命令系統に重大な支障が出ていることが伺えた。直ちに弾道が計算され、目標はサンフランシスコ、東京、北京で、短距離ミサイルの目標は、韓国内の原子力発電所や軍政府のあるスウォンだった。

直ちに、アメリカ、中国、日本の艦隊はこれを迎撃したが、間に合わなかったミサイルは、韓国のスウォンを大きく外れ山間地に落ちた。幸いなことに人的被害は大きくはなかったが、核爆発により山々の木々はなぎ倒され、着弾地から半径10kmは、放射能により強く汚染された。アメリカは手を緩めることなく、日本海の空母から、沖縄基地からと次々と爆撃機が飛び立ち、北朝鮮各所の軍事拠点と核施設を空爆していった。

⑦、金正恩逃亡、両軍武装解除、苦難の南北統一

このアメリカの空爆に対し、組織立った対空射撃などはすでに行われず、金正恩が暗殺されたとの未確認情報も流れ始めた。後にわかったことだが、金正恩と少数の護衛が、中朝国境を超えて脱出しようとしていたところを、看守が逃げ出した付近の強制収容所の囚人たちに囲まれ、撲殺されたとのことだった。その遺体は、囚人たちが苦しめられた、犬刑用の犬の檻に放り込まれたということだった。

この数日前から、日本のラジオからは北朝鮮による拉致被害者たちに対し、昼夜の別なく呼びかけが行われていた。それは「平壌周辺の安全なところに、できるだけ集まっているように」との放送で、もう一つは、北朝鮮国民に対して、意図して北朝鮮風の威圧的に録音された「日本の拉致被害者を保護した者には恩賞を、危害を加えた者には厳罰を」という内容のものだった。そして日本は、オスプレイを搭載した海上自衛隊のヘリ空母「かが」を中心にした艦隊を、ヘジュ沖まで出動させ、韓国軍の一部隊の協力を得て、自衛隊の特殊部隊を北朝鮮に潜入させた。5日後、「かが」から次々とオスプレイが飛び立ち、アメリカのF-15の支援を受けながら、平壌に強行着陸し、横田めぐみさん、ほか60余名の拉致被害者を救出収容した。これは、憲法の枠外の「超法規的処置」だったが、その後国内で大きな問題となることはなかった。

アメリカ軍は、2か月にわたり、北朝鮮の軍事施設、各施設を徹底的に空爆した。その間、アメリカ、中国、ロシア、日本の4国は、朝鮮半島の戦後処理について何度か話し合いをもった。北朝鮮の体制が崩壊し、結果的に南北統一が実現した朝鮮半島に、一定の影響力を残したいベイチュウは対立したが、最終的には、日本が提案した、朝鮮半島を緩衝地帯とし、非核化、非武装化する案に傾いた。

朝鮮半島を新しい一民族国家とすることが合意され、暫定政府の首班候補として、韓国軍に拘束されていた大統領が呼び出された。4か国を代表して、アメリカの総司令官がその旨を伝え、また北朝鮮軍と韓国軍双方の武装解除を行うことを伝えた。これに対して韓国大統領は、韓国の未来を、韓国を除いた大国の思惑で決められていることは問題だとし、北朝鮮の武装解除は当然としながら、「韓国は戦勝国であり、再建の道筋は自ずからが決める」とし、韓国軍の武装解除と非武装化には強く抵抗した。

アメリカはこれに激怒し、「この戦争は他国を巻き込んだ半島の内戦であり、我々にとってはなはだ迷惑なものだ。これからの国の再建に対して、我々の協力が必要ないのであれば、すぐに撤退、撤兵する用意がある」と告げた。韓国大統領は、この戦争は、北朝鮮も韓国も、事実上ともに敗戦国であることを認めざるを得なかった。

憲法草案には、「この国は過去の歴史と、同民族同士の戦乱への自省の上に成立する、非武装中立の朝鮮民族の国家であること」が明記された。また国境問題も確定され、対馬はもちろん、竹島も日本固有の領土として国際的に確認された。また、この内戦において、核攻撃を命令実行した者、非武装住民の虐殺に関わった者、強制収容所で非人間的な行為を行った者などが次々拘束され、朝鮮民族に対する「戦犯」として裁かれていった。

日本国内では、日本に保護されていた、6万人ほどの「戦争避難民」に対し、一定の支援金を供与し半島へ送還、また在日朝鮮人、韓国人に対しては、日本に帰化するか、故国へ戻り再建に寄与するかを選ばせた。これにより多くの者が朝鮮半島の新しい国づくりを夢見て故国へ渡った。